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土倉冨士雄

一枚のメモ用紙

カルピス会長時代の土倉冨士雄氏
(1.Nov.1908 - 31.July.1983)
Mr.Fujio DOKURA  今、私の手元には少し色あせた「カルピス」と青い文字の書かれたB5サイズのメモ用紙があります。そこには

最終場面のナレーション

(優しい女の人の声で、静かに、ゆっくり(三○秒位)と感動的に。) ネロとパトラッシュは、お爺さんやお母さんのいる、遠いお國えゆきました。 もう、これからは、寒いことも、悲しいことも、お腹のすくこともなく、みんな一緒に、 いつまでも、楽しく暮すことでしょう。


と書いてあります。

 1975年に放映された「フランダースの犬」のラストシーンを見ると、このメモに記載された文章と寸分違わぬ 内容を聞いた瞬間、手の震えが止まらなくなりました。私が7歳の時に人生で一番大切な物語のナレーションの メモ用紙が今私の目の前にあります。この運命の導きになんと感謝したら良いのか分からないくらいです。このナ レーションを作った人こそ・・


当時のカルピス社長:土倉冨士雄氏であります! ※注1


 1975年当時日本アニメーションにて制作された「フランダースの犬」は瞬く間に大人気となりました。既に国 内では原作が知られている為に物語の最後を知っている子供達の両親やそれを知った子供達からの手紙には「ネ ロとパトラッシュを助けてあげて!」「ネロを死なさないで!」といった手紙がカルピス及びフジテレビに多数 届く事になります。

 当時フジテレビ及び日本アニメーションとの橋渡し的存在であった元電通K氏は当時をこう振り返る「それは もう日本中からカルピス、フジテレビにファンからの手紙が届きました」私はK氏に大体1万通か2万通くらいで すか?とお伺いすると「そんな数ではありません。大体1万通以上の手紙が毎週届けられるのです。あまりに多 くもう30年以上も前の事なので正確な数は覚えていませんが1万〜2万通という程度の話ではありません」と当時 の状況をK氏は当時をそう回想されていました。

 1975年という年は日本中が「フランダースの犬」に包まれていた年だった様です。あまりに大きな反響と手紙 に寄せられる主人公達への同情や想い、最後に死を迎える原作の結末を知っている多くの人々の意見は直接カル ピス社長(同年会長へなられる)であった土倉氏の目にもとまるようになった事は当然の流れでした。それと 同時にいつの時代も話題になる「フランダースの犬」の最後の結末が大きく取り上げられるのですが、土倉氏は 「原作を決して曲げてはならない!そして子供達を悲しませる事はさせない!」そう決意していました。今回 取材をするにあたりカルピス、及び関係者様、つまり共にすごした時間の長い人ほど土倉氏が生前原作に対する思い を言葉を残されていました。私は故・土倉冨士雄氏が卓越した経営者の前に人間としてクリスチャンとしての博愛 精神のある方だと証言を聞くにあたり確信してゆくのでした。



始まりはトーベ・ヤンソンの「ムーミン」だった

 土倉冨士雄氏を知って頂く上でとても重要な出来事として「フランダースの犬」だけで無くフィンランドの名作 「ムーミン」の日本の国内での放映に大きく関わっていた事です。この1970年代という時代は現在とはかなり 違う形で放送局、制作、そしてスポンサーという立場があり当時のカルピスは名作劇場の”単独”スポンサーで あったという点で、この1社提供による体制は当時のアニメーション制作に与える影響力が当時のカルピスにあ った事です。当時は電通が企画立案を行いカルピス社長である土倉冨士男氏に判断を仰ぐという形で、土倉氏の 許可が出て制作をアニメーション会社が制作するという形でした

 当時はアクション物や子供向けとはあまり言えない(当時は”ハレンチ学園”といったもの・・)コンテンツ が高視聴率を得ていました。が、しかし土倉氏が選んだのは当時日本ではあまりなじみのない「ムーミン」でした。 カルピス劇場の基本理念でもある「家族が一緒に見るものでなくてはならない」という考えからアクション物や あまり家族向けで無く例え高視聴率を期待出来る作品であっても全て不採用とし結局選択したものが「ムーミン」 でした。

 大方の予想通り放映の始まった「ムーミン」はあまり高視聴率ではありませんでした。しかし次第にムーミンは 日本人に受け入れられ多くのファンが増えて行きました。特に子供や女性層にほのぼのとしたキャラクターが支持 され視聴率はファンの増加と合わせて上昇したのでした。そして丁度第40話を迎える頃、ムーミンを見ていたある 視聴者からの手紙が関係者に届けられます。



「重病で寝たきりの坊やが、毎週日曜日のムーミンをとても楽しみにしていて、いつも見終わるとおとなしく寝る のですが、とうとう先日ムーミンを見終わってしずかに昇天しました」
(当らん・当り・当る・当る・当れ・当れ 小谷正一 著 産業能率短大出版部より)


 この一通の手紙が当時のアニメーション制作者達の心を大きく動かした事は想像に難しくありません。当時の制作関係者はムーミ ンの原画に寄せ書きを記し霊前にささげました。視聴率よりも家族団欒で見てもらえるコンテンツの重要性を重んじていた土倉氏 にとってもこの出来事は計り知れぬ程の大きな出来事だったと思われます。それは後に続く名作シリーズ「アルプスの少女ハイジ」 そしてこの「フランダースの犬」の制作にも大きな影響を与えます。その理由は後に触れたいと思いますが「ハイジ」から「フラン ダースの犬」の流れに一つのヒントが隠されていると私は考えています。その主たる部分は原作に込められた宗教でありキリスト教 に他なりません。



「フランダースの犬」とキリスト教

 西洋文学に触れるにあたり必ずといって良いほど作品に出てくるのは聖書の言葉であったりキリスト教を背景とした台詞だったり します。私はかなり前の事ですが福音館書店の代表の方の講演を聴きに行きました。丁度私が青年期に通っていた教会に向かったの ですが運良く社長様とお話するお時間を頂きました。その時私は自分の自己紹介として「フランダースの犬」のサイトを運営してい る事を伝えました。その際にお伺いし本当に興味深かった事はハイジについてでした。社長様は「大島さん、もしハイジに関心があ るのであればまずヨハンナ・スピリの”原作”を読んで下さい。アニメーションには宗教色が薄くされてしまっていてハイジの魅力 が半減しています」と。原作には3つの十字架が描写されているにも関わらずアニメーションには3本の木になっていたりあえて 宗教色を薄めるアレンジがハイジにはされています。その為本来原作が持っているキリスト教を背景とした物語が本来持つ魅力を知 りたければまず原作をといった本当に有り難いアドバイスでした。

 「ハイジ」から次作である「フランダースの犬」へ作品が変わると同時に制作会社も日本アニメーションになり実質新しいスタートを切りました。 この移行の際には様々なゴタゴタがあったとお伺いしています。この色んな混乱がどの様なものだったか現時点で私はあまり多くを把握していません。 ですが関係者様のお声をお聞きし幾度と出てくる「土倉冨士雄氏は原作をとても大切にしていた」「原作を曲げる事は絶対にあって はならない」という声であり土倉冨士雄氏の志でした。土倉氏はフランダースの犬の制作の際には非常にこの作品に対しての思い入れがあ った事。そしてシナリオにも頻繁に目を通すなど並々ならぬ情熱を込めていました。何故「ハイジ」の次に「フランダースの犬」を 選んだのか?それは土倉氏の中に原作の持つ素晴らしさを「カルピス名作劇場」(昭和44年〜54年)に提供したいとの強い願いがあっ た事でしょう。

 フランダースの犬の原作を知っている人間であればこの作品がクリスマス・ストーリーと言われる様にキリスト教に根付いた作品 であることは安易に想像出来ます。前作のハイジで原作から宗教色がスポイルされた形から原点回帰するようにフランダースの犬を 採用した背景にはやはり土倉氏の原作に対する熱い情熱と当時のテレビを見ている子供達に良き物を伝えたいという思いがあったの だと思います。



一枚のメモ用紙

 1975年の1月から第52話にわたり放映されたカルピス劇場「フランダースの犬」は国民的人気を博しました。その現象は先に触れ ました元電通の担当であられたK氏の御証言でも分かるとおり日本中から非常に多くのファンレターが届けられ最終回が近づくにつれて 寄せられてくる物語の主人公達に対する同情や優しいコメントが当時の制作運営担当者の方々の心を色んな意味で揺さぶっていた事は 元電通のK氏の会話でも感じる事が出来ました。K氏は私に対しても「ネロとパトラッシュは最後は幸せなところに行ったんですよ」 と主人公達に対する「死」を連想しない様に大人である私に対してもお気遣いをして下さいました。私はそのK氏のお気遣いと同時 に当時制作に担当されていた方々が国民的人気を博しながらこの「フランダースの犬」のラストシーンをどのように扱ってよいもの か苦慮されている姿がこのK氏の私に対するお気遣いからも当時の出来事が連想されるのでした。

 当然の事ながら"単独"メインスポンサーであるカルピス代表の土倉冨士雄氏の目にも多くのファンからのメッセージが届きました。 土倉冨士雄氏はクリスチャンであり「死」はクリスチャンにとって絶望では無く、天は信じる者の希望であり救いであります。先にふれ ました土倉氏が最初に携わった作品でもある「ムーミン」を見て安らかに天に召された幼き命の死、そしてその家族から寄せられた手紙 には作品に対する感謝の気持ちが込められていた事は、土倉氏にとって大きな喜びであった事でしょう!

 土倉氏は数多く寄せられるファンからのメッセージや嘆願書を知り「子供達を悲しませる事はさせない!」そう語られて いたそうです。土倉冨士雄氏は当初から原作を重んじ決して安易な結末の変更などは微塵も考えていませんでした。しかも土倉氏は先に 述べた通りクリスチャンであり原作通り主人公達が死を迎えても何ら問題はありませんでした。私はこの取材を始めたときにこの「ファン の子供達を悲しませる事はさせない!」という土倉氏の言葉の意味が当初私にはその深い意味が理解出来ませんでした。作品が公開され る前からこの物語の主人公は最後に死を迎えるのは分かっていたわけですし何故作品の終わりに「子供達を悲しませる事はさせない!」 と何故再び土倉氏が語ったのでしょうか?

 私はカソリック系の幼稚園に通っていたため小さい頃からキリスト教文化に触れる機会が多く、現在も物事の考え方など強く影響が 残っています。つまり私は当時ウィーダが子供達に向けて作った「フランダースの犬」はキリスト教が浸透したヨーロッパで作られた 物語です。物語の最後にネロとパトラッシュが一緒の墓地に埋葬され二人は永遠に一緒なのです・・・といった終わり方で十分その先 あるもの、それが「天国」という考え方であり子供だった私でもウィーダが伝えようとしていたものが何の抵抗も無く分かるのはキリ スト教の教育を受けていた事が原因で有ることは間違いありません。


「子供達を悲しませる事はさせない!」


 土倉氏はきっとこのアイディアが浮かび忘れぬようメモしたのでしょう。会社のメモ用紙には物語の最後の場面をこのメモの内容に するように、また"天使が舞い降りて天へ召される場面"、賛美歌320とアヴェマリアを使用し荘厳なイメージを演出するようにと広告部 に指示しました。この指示が日本アニメーション黒田監督のもと優秀な制作スタッフ達により美しい映像化された事は今なお多くのテ レビ番組で放映され多くの人々の記憶に残り今なお語られる有名なラストシーンになったのです。

 この一枚のメモによって描かれたアニメーションによるフランダースの犬のラストシーンは、キリスト教国で無い日本の子供達にも 母親が子供に優しく説くように自然な流れで子供達の記憶の底に刻まれたのです。1975年にスポンサーであるカルピス社長土倉氏が 番組内容の詳細を指示し具体化した事は極めて異例な出来事であったと思います。そして氏の揺るぎなき信念と行動がなければ名作 「フランダースの犬」は生まれてこなかったかもしれません。

 子供達に多くの夢を与えたい、一企業人でありながら企業という狭い枠を越えて日本中にこの「フランダースの犬」を広めた功績者 として土倉冨士雄氏の存在はとても大きなものがります。社会的義務という使命を抱き作られてきたカルピス劇場の理念は、今なお 色あせる事無く私たちの心の中で輝き続けいるのです。


土倉氏が手渡したフランダースの犬のラストシーンに関するメモ
これは当時電通のK氏がずっと大切に保管していました
土倉冨士雄氏が手渡したフランダースの犬のラストシーンに関するメモ


賛美歌320番

主よ みもとに近づかん
のぼるみちは 十字架に
ありともなど 悲しむべき
主よ みもとに近づかん


※注1
土倉冨士雄氏は昭和45年から50年までカルピス社長、同年2月27日からは会長になりました(2011年8月8日追記)
※注2
土倉冨士雄氏の家系は祖父にあたる土倉庄三郎の二男・土倉龍治郎の長男として生まれた(2011年8月8日追記)
※注3
イメージ画像の盗用があった為、土倉冨士雄氏写真及びカルピスメモに無断転用禁止文字の追加(2017年1月18日追記)

K.Oshima 20/May/2010


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