Mr. Jan CORTEEL
ヤン・コルテールさんとの出会い

夢にまで見た"アントワープ"への真っ直ぐな道への願いがついに叶う事になり、そしてこのヤン・コルテールさんというこの物語がまだ本国ベルギーにて誰も知ることの無かった時代にこの
"A Dog of Flanders"という物語を知り、心からこの物語を好きになり、母国語であるフレミッシュ(オランダ語主体のフランダース地方の言語)に、このヤンさんが翻訳する事によりよう
やく本国でもこの"フランダースの犬"が知られるようになります。つまりヤンさんは"フランダースの犬"の故郷でもあるベルギーで、この物語を広めた先駆者なのです。
私とヤンさんは親しくなるのにそう時間はかかりませんでした。特にネロとパトラッシュの話になるとそれはもう二人とも夢中になっているからでした。私は「この人は本当にこの物語が好
きなんだ!」と思わずにはいられませんでしたが恐らくヤンさんも私に対して同じく思ってくれている事でしょう。
私は一緒にヤンさんの説明を受けながら、ネロとパトラッシュが最後に見たルーベンスの絵があるノートルダム大聖堂へと向かいました。私は絵を少し描きますが、いつも図書館で本を借り
てすましていました。ですから初めて直接この目で見る絵が幸運にもルーベンスの絵だったのです。(この幸運な出来事についてはまた別のページで紹介する事にします)また偶然にも日本
国内で私のサイトが最初に個人で「フランダースの犬」を取り上げた事がきっかけで、とても素敵な人々との出会いや、こうして私がベルギー行くことが出来てヤンさんとお会い出来た事...
今こうしてふと考えると、子供の頃に見た大切な物語が、お金では買えない何かを自分に運んでくれているような気がしてならないのです。
Do you like Hollywood?
共通の価値観といいますかこの物語から与えられたものは、私達にも同じ心配をも抱える事になります。それは現在製作中(98年9月現在)のハリウッド版フランダースの犬では
ネロが死なないという点です。私の知るかぎりではまずオリジナルのストーリーを見た際に、子供が泣いてしまったりした場合
アメリカでは訴訟問題に発展しかねない事と、ハッピーエンドでない最後は受け入れづらいという点です。(私は有る意味究極のハッピーエンドだと思っていますが...)少なくとも作者が登場
人物を死という運命に導く事はとても大きな意味があり、それを可哀想だからという理由で物語を変えてしまう事は作者ウィーダに対して冒涜の何ものでもないと思います。表現の自由という
のは、オリジナルを変える事ではなくオリジナルが不満であればまた新しいオリジナルの作品を造る事が出来るのを自由というのではないでしょうか?
様々な価値観や創作、人それぞれのアレンジや工夫があると思いますしそれは勿論可能な事だと思います。が、しかし物語の主人公が原作では最愛の友と死をむかえるのにそれを変えてしまう
のは聖書の中でイエス・キリストが十字架にかかるのが「可哀想だからストーリーを変えて死ななかった事にしよう!」というのと同じ事ではないでしょうか?もしゲーテの「若きウェルテル」
の中でウェルテルが自殺しなかったら?レ・ミゼラブルの中でジャン・バルジャンが子供の頃のコゼットを思い出しながら死を迎えなかったら?
いったい何処に値打ちがあるのでしょう
この人の心の底辺に、優しさと不条理な現実の中でも失う事のない純粋な何かを与える「フランダースの犬」はより多くの人々に必要とされていると思います。もしネロとパトラッシュが死を
迎えなかったらあの阪神大震災で目の前で両親や家族を失った人たちは物語に対して何とも思わないでしょう。誰よりも不幸でも、死が訪れても最後には救われる...その為にはネロとパトラッ
シュはルーベンスの絵の前で命のともしびを消さなければならないのです。
ヤンさんは母国ベルギーで日本アニメーションの"フランダースの犬"をハリウッド版が公開される前にベルギーの子供たちに見せてあげたいと思っていまが、様々な難しい問題で暗礁に乗り上
げてしまっているのが現状です。しかし、この事を一人でも多くの人が知ることにより何かが変わるそう思って行きたいと思います。原文にある
laid them to rest there side by side --forever !
この"Forever"の持つ意味が私達に100年の時を越えて語りかけてくるのです。
K.Oshima 4/September/1998
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